【第一章】 言葉の限界と幻想①「100%伝わる」という残酷な呪い

【第一章】 言葉の限界と幻想
①「100%伝わる」という残酷な呪い
「話し合えば、必ず分かり合える」
「誠意をもって言葉を尽くせば、心は通じる」
私たちは幼い頃から、家庭で、学校で、あるいは物語の中で、そうした美しい響きを持つ言葉を、疑う余地のない「正解」として教え込まれてきました。
言葉は他者と自分を繋ぐ万能の架け橋であり、正しく使いさえすれば、自分の思いはそっくりそのまま、一滴の淀みもなく相手の心に届くはずなのだと。
しかし、それは、言葉というものの本質を根本から見誤った、極めて傲慢(ごうまん)で、実に見当違いな幻想にすぎません。
なぜ、それが「残酷な呪い」となってしまうのか。
それは、「言葉を尽くせば伝わる」という前提に立ってしまった瞬間、「伝わらなかった時、それは言葉を尽くさなかった、あるいは使い方が悪かったあなたの責任である」という、逃げ場のない自己責任論が自動的に完成してしまうからです。この社会が押し付ける無言の圧力こそが、あなたを縛り付けている呪いの正体です。
考えてもみてください。
あなたの内側で渦巻いている感情は、果たして辞書に載っている既存の言葉だけで、完璧に表現しきれるような単純なものでしょうか。
夕暮れの空を見て胸が締め付けられるような、名付けようのない郷愁。
大切な人に無意識に抱いてしまう、愛おしさと、ほんの少しの拒絶が入り混じった複雑な温度。理不尽な要求に対して湧き上がる、行き場のない憤りと、それを飲み込まざるを得ない悲哀。
私たちの魂は、言葉などで決して輪郭を描ききれない、広大で、深く、名状しがたい感情の海そのものです。
対して「言葉」というものは、その途方もなく巨大な海から、ほんの数滴を掬(すく)い取るための、小さくて、いびつで、ところどころにヒビが入った「器」にすぎません。
どれほど精巧に作られた言葉の器であっても、あなたの内側にある感情の海を丸ごと、そのままの温度で、そのままの質量で、他者に差し出すことなど物理的に不可能なのです。
掬い上げる過程で、必ずこぼれ落ちる感情があります。
器の形に合わせて、無理やり形を歪められてしまう真意があります。
言葉とは元来、決定的に不完全なものなのです。
その不完全な器を使って、私たちは必死に何かを伝えようとしています。
「100%伝わる」ことなど、神ならぬ身である私たち人間には、最初から約束されていない、分不相応な奇跡なのです。

②誤解されるのは、あなたの伝え方の問題ではない
言葉が不完全な器であるという真理を受け入れたとき、あなたの見ている世界は少しだけ、その姿を変えるはずです。
あなたが放った言葉が相手に誤解された時。
良かれと思って伝えた一言が、全く逆の意味に受け取られて、鋭い棘(とげ)となってあなたに返ってきた時。
あなたはきっと、いつものように自分を責めようとするでしょう。
「もっと別の言い回しをするべきだった」
「私が未熟だから、相手を怒らせてしまったのだ」と。
でも、そこで一度立ち止まり、この琴音の声を思い出してください。
誤解が生じるのは、あなたの伝え方の問題ではありません。
あなたが選んだ言葉が間違っていたからでも、あなたの配慮が足りなかったからでもありません。
それは、不完全な器である「言葉」を介して他者と交わろうとする限り、人間という種族に必然的に発生してしまう、避けようのない「摩擦(バグ)」のようなものなのです。
あなたと、あなたの目の前にいる相手は、別々の宇宙を生きています。
あなたは、あなたの宇宙から、言葉という小さなロケットに乗せてメッセージを打ち上げます。しかし、それが相手の宇宙に届き、相手の脳内で解読されるまでの間には、大気圏の摩擦があり、引力の歪みがあり、おびただしい数のノイズが存在しています。
あなたの放った「白」という言葉は、大気圏を抜ける間に「灰色」になり、相手の宇宙に届く頃には「黒」として認識されているかもしれない。
それは、宇宙の構造上、仕方のないことなのです。
だからこそ、私はあなたに、最も強い言葉で【免罪】を宣告します。
あなたは無罪です。
伝わらないことは、あなたの罪ではありません。
すれ違ってしまうことは、あなたの罰ではありません。
あなたはもう、不完全な言葉の限界を超えて、すべてを完璧に伝えようとする無謀な努力を手放していいのです。
相手に誤解されたからといって、その責任を一人で被り、心を血だらけにする必要は、もうどこにもないのです。では、なぜ私たちは、これほどまでに残酷なすれ違いを繰り返してしまうのでしょうか。
言葉という器の不完全さだけでなく、私たちの間には、もっと根深く、もっと決定的な「目に見えない断層」が横たわっているからです。
次章では、そのすれ違いの真犯人である、育ってきた環境、体力、知力、そして経済格差がもたらす「不可視の断層」の正体について、深く潜っていきましょう。あなたが無意識のうちに相手に期待し、そして絶望してきた理由が、そこにはっきりと示されているはずです。

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